2007年5月 1日 (火)

アメリカの代表的都市シカゴ紀行

 南カリフォルニアの、朝夕は幾らか肌寒いが、春を迎えて一年の内で、いま最も凌ぎ良い爽やかな日々を送っている。毎年やって来る、玄関口の軒先の、ツバメの子どものさえずりで目を覚ます。庭のバラも今年はじめての花を咲かせている。
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 南カリフォルニアは、5月になると急に熱い夏が、駆け足でやって来るので、人々は短い春を楽しんでいる。

200705012 このところ会社の出張続きで、落ち着かない生活を送っているが、今回は北米最大のコンベンション・センターが在ることで有名なシカゴで、『世界のセラミック建材展示会』が開かれ、わが社が原料を供給している、6社ほどの生産会社が出展している関係もあり、商談もかねてのシカゴの旅をする。

 最近の国内線航空機の利用は、セキュリティーのチェックに時間がかかるため、搭乗手続きも、出発3時間前には始めなければならず、国内旅行も海外旅行なみに時間を取り、ひと仕事である。

 ロスアンジェルス空港から、イリノイ州シカゴ・オヘア(O'Hare)空港までは、4時間のフライトを要するが、時差は2時間早い。
Chicagoaircraft この空港はアメリカの空港の中で最も大きく、ロスアンジェルス空港の3倍ほどの規模で、シカゴを中心に放射状にアメリカ各州へと、頻繁に飛行機が発進し、各州の人々には、地理的に便利な空港でもある。

南カリフォルニアの日中は、春の陽気の23℃ほどの気温だが、シカゴは北極からの冷たい風が、ミシガン湖を渡って吹き込んで来るため、4月中旬なのに気温は3℃ほどで、オーバーコートや手袋が欲しいほどの寒さに震える。

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南カリフォルニアとシカゴでは、都市の形態が違い、ロスアンジェルスの車社会に反し、シカゴは電車利用が主体で、市内には時々映画撮影などにもよく使われる、高架電車が走り、地下鉄も縦横に敷設され、観光客への交通事情は、大変便利な町でもある。

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20070501train  空港からダウンタウンの中心シティー・ホールまでの電車は、料金は一律2ドル、東京の電車に比べると、スピードが随分遅く悠長で、所要時間は40分ほど、横揺れも相当だが、スピードの出ない分、ノンビリと車窓を眺めながら旅を楽しめる利点もある。

 空港から郊外を抜けて、中心地まで行く間の、シカゴ市民の住宅街は、歴史が古いだけに、相当年季の入った、古い家並みを見る。

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  電車のホームでは、料金をもらって似顔絵を書いている人や、ギターを弾き歌っている青年、中国の二鼓を弾いている中年の中国系の婦人などがいる。

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中心街のダウンタウンに入ると、有名な『1871年のシカゴの大火』で、シカゴのダウンタウン全体が焼き尽くされて以来、木造建築物を禁止し、耐火性のコンクリートの高層建造物の立ち並ぶ街となり、当時のクラシックなデザインの高層ビルと、戦後建てられたモダンな造りの高層ビルの林との、新旧取り混ぜブレンドされた建物のハーモニーは、典型的なアメリカの大都市と言われているが、街のたたずまいに文化を感じる。

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 日本で言えば、丁度、クラシックな東京駅や旧日本銀行の周りに、近代高層建築の丸の内の建築物がある様な、新旧とりまぜた町並みが、シカゴのダウンタウン全体を覆って、数々の映画のロケ地になった、シカゴ名物のエレベーテッド・トレインと呼ばれる高架鉄道の環状線電車が走っている。

地下鉄も充実しており、地下鉄へ降りる入り口も、古風な味わいの、たたずまいをし、街に溶け込んでいる。古風な地下鉄入口に反し、チケット売り場は大変モダンで美しい。

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20070504cl  シカゴでは街の美化に相当の予算を組みこんでいるとの事で、ダウンタウンでは、早朝3時から6時まで街を清掃し、昼間も相当数の市の清掃員が、道路清掃を各地でせっせとしている姿を見かけ、街を散策して感心する事は、道路にゴミひとつ落ちていないことだった。市民も美化に費やす大きな予算を取られる事を理解しているところや、市当局も徹底して美化に勤めている事には、街を散策している間、とても感心する。
 各企業のビルの前の花壇は、競うように花々が植えられ、散策していて楽しくなる街だ。20070504tw
2016年の次回オリンピック開催地として、シカゴは東京都と競っているよだが、都市の美観から見て、シカゴの方が圧倒的に有利なように思える。

街の中を巡回中の警官は、2003年から売り出された、訪米中の小泉首相もブッシュ大統領からお土産にもらった、電動一輪車 セグウェイ(Segway) を利用している。

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公園の巡回守衛達も、セグウェイを利用している。

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町中には有名な芸術家の彫刻が点在し、中でも1911年に建てられた、シティー・ホールの傍の、デイリー・プラザ広場にある、ピカソの彫刻やカルダーのフラミンゴ、21世紀を迎えた記念のミレニアム公園の彫刻や電子画像と滝を合わせた建造物など、街のシンボルになっている。

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 1852年創業のマーシャル・フィールド・デパートの巨大時計もシカゴ名物である。
20070506histry_1  歴史的な建造物としては、ワーター・タワーがある。このタワーは1871年のシカゴの大火に唯一残った建造物で、近くにはシカゴで最も古い、歴史的な記念物といえる消防署もある。

20070506chicago24  その昔、ブルースの町と知られたシカゴには、サッチモの愛称で呼ばれた、ルイ・アームストロングなどがナイトクラブで活躍し、アル・カポネを頂点とするマフィアが闊歩した街並みで、その町をいま歩いているのかと、古い時代に思いをはせながら散策する。

20070506389_1シカゴに行くと、観光客が必ず行くという1974年に建てられた、当時は世界一高いと言われたシーアス・タワーに行って見る事にするが、103階までを1分足らずで昇ってしまう。(入場料12ドル50セント)ここも9・11のNY爆破事件以来、セキュリティーが厳しく、ビルの展望台へ行くには、空港並みのセキュリティー機械が設置された、入口を通らねばならない。

ロスアンジェルスでは当たり前の、透き通るような紺碧の空を、シカゴではめったに見ることが出来ないとのことだが、この日はお天気に恵まれていたお陰で、シカゴ市内のパノラマを満喫し、遥かに広がるミシガン湖の大きさに驚く。

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新旧取り混ぜた高層建築物の林は圧巻で、最近は日本の建築家や設計士などのツアーが視察に来る街でもあるという。

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Yoko_chicago_april_2007_058250  シカゴ・カブの本拠地スタジアムも、新旧取り混ぜたデザインは素晴らしく、その向かいには1893年シカゴ万国博覧会に建てられた、威風堂々とした建造物を利用しての、博物館には小学生の、低学年の団体が学習しているのが可愛いい。

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また世界の美術館に肩を並べるほど、充実したコレクションで有名な、シカゴ美術館も有名である。

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シカゴの図書館も随分凝ったデザインの建物で、人々の目を引く。

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Chicago_april_2007_452200 シカゴ郊外の大草原での穀物栽培は盛んで、穀物を扱う市場の関係で、1848年に小麦業者で始められた、シカゴ穀物取引所(Chicago Board of Trrade)ができ、このビルの屋根のトップに在る、ギリシャ神話の穀物の神の像も有名である。穀物生産の関係から、肉牛生産も盛んで、「シカゴに行ったらステーキを食べなければならない」と言われる所以で、街角にはいろいろな牛の彫刻を見る。

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イタリア系も多いシカゴは、普通のピザとは一風変わった具の厚いパイ風のピザが有名で、『Giord Lano's』は盛況で、一度は試食の価値有り。
ただしピザは1時間前に予約が必要。

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Yoko_chicago_april_2007_477200 1898年から創業しているドイツ料理店『The Berghoff』は有名な割には、価格が割安で自家製ビールとソーセージが楽しめる。

初めて行ったシカゴは、ロスアンジェルスとでは、大変おもむきが異なり、アメリカ国内でありながら、その文化の厚みを感じ、アメリカで無いような海外旅行をしているような錯覚になるが、街中に星条旗がはためき、やはりアメリカなのだと再認識し、新鮮味のある旅を経験した。

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2007年4月19日 (木)

南カリフォルニア から カナダ までの3100マイルの旅 《カナダからカリフォルニアへの帰途編》

 翌日ビクトリアから約40分をかけて、雨の中をカーフェリー埠頭スワルツ・ベイ(Swartz Bay) バンクーバーのフェリー港へ(自動車と2名で65カナダ・ドル)行く。このフェリーは、カナダの船籍1万8000トンの船が運航し、約500台の自動車を船底の二階を使い収容し、乗客1000名を乗せて、食堂やお土産店なども有り、豪華な船だ。

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2007041933 乗客はこのフェリーをよく使用するようで、家族づれや引退者の姿を見る。幾つもの小島の間を練りながら、2時間かけてバンクーバーのツワッセン港(Tsawwassen)に到着する。カーフェリーの船から自動車でそのまま下船し、カナダとアメリカの国境検問所に、1時間ほどフリーウェイを行くが、カナダとアメリカのフリーウェイの雰囲気が、何か違うと思ったのは、カナダのフリーウェイ沿いには、広告のビルボード(広告看板)が立ち並んでいることで、アメリカのフリーウェイ沿いにはこれほどの広告看板はないので、見慣れないない風景である。

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2007041934 アメリカ入国ゲート前は、意外と車の長蛇の列で、1時間ほど徐行しなければならなかったが、アメリカへの入国手続きは、車の中からで済むので便利である。 2007041933a_3 20年 前に比べると、数台のカメラ設置や爆弾探知機の機器など、ニューヨークの9・11爆破事件以来、随分厳しくなったのを感じる。入国審査前の地に、石でできた国際国境境界認識表を見る。アメリカの入国審査官は、アメリカ市民に対して「ウェルカム・ホーム」と云い、感じが良い。

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 入国検問所を通過すると、自然にアメリカ国道5号線に入る。自動車は一路、南へと5号線をひた走り、シアトルを通過し、ワシントン州の主都オリンピア市に一泊する。このワシントン州庁所在地シアトルの様な感じもあるが、ワシントンの州都はオリンピア。

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 このオリンピアは、私にとって個人的に悲しい思い出の地でもある。現在生きていたら104歳の明治生まれだった母は、戦後まだ落ち着かない時代、小学生の私を置いて、単身ミシガン州立大学に2年間交換教授として留学したが、その時代の母の友人をワシントンに訪ねるため、25年前に元気だった母を伴い、ワシントンへ向いドライブしている途中、母が脳梗塞で倒れた地が、このオリンピア。このとき母は帰らぬ人になり、私にとって悲しい思い出の、オリンピアの町でもある。

 翌日、富士山よりも高い、オレゴン州のマウント・シャスター(4300メートル)周辺を通過しての帰路だが、降雪の状況が心配だが、意を決して山越えをすることにする。

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  前日の大雪の積雪景色が美しかったが、幸いにも晴天に恵まれ、交通には支障がなかったのは幸運だった。3時間ほど雪山をひたすら下山しながらドライブし、オレゴン州を抜け、カリフォルニア州に入る。

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 サクラメント150キロ手前の町、コーニング(Corning)20070419oleve_2 のモーテルに入り、アカデミー賞授賞式をテレビで観る。 この地は、カリフォルニアでも有名なオリーブの産地で、オリーブ栽培が始められたのは1904年と古い。「オリーブ・フェスティバル」が8月末の1週間行われる。

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20070419car0  帰路の途中、さまざまな自動車と行き交うが、シャスター近辺のニジマス孵化場から、生きたニジマスを、スーパーなどに納入する、生簀トラックや酪農家から採集した牛乳タンク・トラックなどやキャンピング・カーに乗用車を引っ張っている、長期旅行者などが行き交う。

20070419car1  カリフォルニアからカナダまでの、3100マイル、約5000キロを走破して、ドライブを終了し感心したことは、この10日間のドライブ中、1台の自動車事故現場を見なかったことだった。日本に比べて、アメリカの人々の自動車運転のマナーは紳士的で、おおらかな運転と紳士的に譲り合う環境 だから、引退者も大きなキャンピング・カーをノンビリ運転でき、ドライブの旅は楽しめる国でもある。20070419homeまた私たちの自動車も、無事故で帰宅できたことに感謝し、夫婦とも65歳と余り若くない年齢だけに、いささか疲れを覚えながら、家の門をくぐる。

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2007年4月10日 (火)

《 カナダ・バンクーバー編 》

2007041027150picsel_2 ワシントン、ポート・エンジェルスから翌朝早朝8時20分発の、カー・フェリーに乗り込み(運賃は自動車と大人2名で44ドル)1時間半もすると、カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー・アイランドのビクトリア港に着く。

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今日の宿泊は、ビクトリア港の前にある、フェアモント・エンプレス・ホテル(Fairmont Empress Hotel)(1部屋1泊300カナダ・ドル)に宿を取る。

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20070410hotel2 このホテルは1890年創業の、英国女王も泊まったことのある、由緒あるホテルだが、いささか施設が古いため、部屋にインターネット高速無線接続の敷設がなされていないのが、少々不満だったが、室内は熟年向きの落ち着きのある環境である。

夕食前の時間、ビクトリアのガバメント・ストリート(メインストリート)を散策するが、気温は5,6℃くらいで肌寒く、街路樹の寒サクラが満開だった。 バンクーバーは、20年前ごろから、中国系の人口が多いくなったのも目立つ。

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20070410ga1 翌日ホテルから30分ほど車を乗り、バンクーバーに来たほとんどの観光客が訪れる、ブッチャート・ガーデン(Butchart Gardens)(入園料1名17カナダ・ドル)に着く。

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この庭園はポートランド・セメント会社で財を成した、ブッチャート氏の庭園。このセメント会社を創設した20世紀20070410ga3 初頭のアメリカは、フリーウェイの整備、ダムや橋などのインフラ創成期、町では近代ビルディングの建築のラッシュなど、セメント需要は空前的に盛んだったことと思われる。

その頃セメント原材料の石灰石を掘り起こした跡地を、庭園として造園したもので、サンケン・ガーデン、バラ園、イタリア庭園、日本庭園、スター・ポンドなどからなっ ている。1906年最初に日本庭園が、日本人の手によっ20070410ga4250_1 て作られ、造園から100年以上を越す庭園は、手入れが非常に行き届いていて、園芸を趣味とする人には、楽しいところだ。日本庭園からの、サーニッチ海峡の眺めは素晴らしい。

このブッチャート庭園を訪問したのが、2月23日とまだ春には少々遠く、草花を見に庭園を訪れるには、季節がいささか早すぎたが、それでも幾らかの花々を鑑賞することができた。

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20070410tea1_1 花が余り咲いていないことへの特別割引と云うことでもないだろうが、素敵な屋内テラスでのアフタヌーン・ティーが10カナダ・ドルで、12時半から20070410tea2_2 開かれるとのこと。金額からしてティーだけかと思ってい たが、フルーツの盛り合わせや、サンドイッチ、クッキー、生チョコなどの豪華な軽昼食コースで、 1時間半ほどを英国貴婦人になったような気分で、素敵なアフタヌーン・ティー・タイムのひと時を主人と過ごす。

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2007年4月 6日 (金)

南カリフォルニア から カナダ までの3100マイルの旅《 ワシントン州編 》

オレゴン州とワシントン州との州境界線が、コロンビア川である。コロンビア川のその源流は、カナダ・ブリティシュコロンビア州の、コロンビア氷原カナディアンロッキーからなり、その川幅の大きさは、いったいどれ程の幅があるのだろうか。とにかく大きな川で、写真には納まりきれない。コロンビア川には、ボンヌビル・ダム、グリンドクーリー・ダムなどの水力発電ダムがある。コロンビア川沿いに5号線を北上し、4号線に移りコロンビア川が海に合流する地点は、川幅は約10キロはあろうか、コロンビア川の河口川幅が最大となり、湖のような様相を呈する。

再び101号線に車は移るが、ワシントン州はオレゴン州と同じく雨量が多く、101号線でワシントン州へ入ると、行ども行けども森林地帯となり、手付かずの自然が深くなる。

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20070406tr1_2 ワシントン州の各地には木材工場が点在し、 道路を行き交う車は、原木木材運搬のトラックや製材済みの材木を積んだ車のみとなる。ところどころに牡蠣貝の工場があり、剥き終えたオイスターの貝殻の大きな山が、ひときわ目立つ町並みだ。カリフォルニアは今、新築着工数が伸び、建売一戸建ての、大型プロジェクトを見るたびに、建築材木資材の多さに驚き、木材はどこからやって来るのかと不思議に思う程だが、ワシントン州の道路を行き交うトラックを見ると、材木の豊かさがうなづける。

ワシントン州などの、森林地帯の道路沿いの、電気施設の無い道路では、道路サインや工事用サインなども、太陽電池で作動させているのが目に付く。

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時間の都合で101号線沿いのアバディーン(Aberdeen)と云う町に、この日は飛び込みで宿泊する。この町の港は1880年頃から、シアトルと並んで、世界各国への木材輸送港とし今も栄えていて。戦前から日本への、木材輸送地でもある。

この町は木材製材工場と木材輸送港として、19世紀末頃は随分栄え、東部のシカゴと比較され「西側のシカゴ」と言われるほどで、森林伐採に関わる男性で町は賑わい、労働者の男たちの無法地帯となり、荒くれ者と女性は街娼だけの町だったと言われている。

未知の宿泊地では、いつも宿のマネージャーにその町の情報を聞く事にしている、「この町の歴史的な建物は」と問うと、「まことに誇れないことだが、この町の目抜き通りの、今残っている全てのビルディングは、その昔は娼婦舘だった」との返事が返ってきた。

1900年頃の津波では、町の製材工場や港の木材置き場の木材が、町中に津波で押し流され、木材が町を埋め尽くし、その木材に火がつき、町全体が焼けた歴史もあったと言う。また、この町はサーモンや生牡蠣などの、漁業の町としても生業をなしている。

20070406park 翌日この後カナダ・バンクーバー島へ渡るための連絡港ワシントン州ポート・エンジェル(Port Angele)までの300キロほどを、森林の中をドライブする。時には湖を眺め、オリンピック国立公園を通り、州立のサーモン孵化場などを見ながら、行けども行けども森林の中をドライブをする。

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20070406portengel_1 明日の早朝はカナダ・バンクーバーへ、ポート・エンジェルからフェリーで渡るため、今夜はポート・エンジェルス泊まり。

ポート・エンジェルではカニの夕食を取る。

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2007年3月31日 (土)

南カリフォルニア から カナダ までの3100マイルの旅 《 オレゴン編 》

Oregoncost_230 車は101号線を北上しオレゴン州に入り、オレゴン海岸線を北へ行く。途中、数十マイルに及ぶ流木の寄せるオレゴン海岸沿線は、手付かずの自然を見せてくれる。気温が暖かくなれば、人々は1週間ほどの単位で、台所付きコテージを賃貸し、家族と海岸で楽しむようだが、今は冬なのOregoncotege で、引退者の熟年カップルが、太平洋を眺めながら読書などをしていた。

この辺りの101号線の沿線から、目に付きだすのが、5千メートルほどの間隔で、カナダの国境まで、「津波警Oregontsunami_160_2 戒地帯」「津波避難方向指示」の道路標識を見る。「津波の国」日本にも、このような津波警報や避難方向を表す、道路標識は有るのだろうか。
ちなみに日本語の「津波」は、すでに英語になって「Tsunami」という。

車はユージン(Eugene)へ行くため、101号線から38号線へ入る。この辺りは、野生のエルク(Elk大鹿)が生息しており、大鹿の群れに出会うことができ、思わぬ自然の光景を目にし、年齢をかえりみず興奮する。

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オレゴン州は木材育成に充分な雨量に恵まれ、森林場伐採の産業が盛んで、道路を行Oregonforesttruck き交う、木材載積しているトラックが通過するとい標識と、原木を載積したトラックや製材済みの材木を積んだトラックを頻繁に見かける。
カリフォルニア州と違い、随分雨量が多いために、道路沿いの森林Oregonforestroard が深く、カリフォルニアには無い異なったオモムキを見せてくる。
途中に幾つもの湖や川が有り、釣りキチの私たちには、非常に魅力的なところで、静かな平和的な風景を味わうことができ、山々は雪を抱いている。

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夜間ポートランド入りし、次の日は顧客訪問の商用で、幾らか時間が潰れる。オレゴン州最大の町、人口54万人のポートランドには、オレゴン州とワシントン州との州境の、コロンビア川が横たわっている。ポートランド側では、人々はコロンビア川に水上住宅を構え、ヨットやボートを横付けにして生活している。

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ポートランドはその昔、近郊農家の農産物の収集地として発展したが、戦中は軍事産業で栄え、現在はポートランドから町続きの隣町、マイクロソフト社の在るシアトル(ワシントン州)までを、シリコン・フォレストと呼び、カリフォルニアのシリコン・バレーを追い抜く勢いで、IT産業の急激な発展をなしている。ポートランドはサーモンやミル貝、牡蠣貝などが獲れる、海産物の豊かな地でもあり、日本人が好きになる町でもある

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2007年3月23日 (金)

《 カリフォルニア編2》

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コリンガを過ぎて1時間ほどすると、5号線と101号線を結ぶ152号線がある。
この152号線沿いを行くと、収穫量が世界的に1、2を記録する、ニンニク産地ギルロイ(Gillroy)に着く。

200703garlic2_1 ギルロイには、ニンニク収獲所やニンニク・パッキング場、ニンニクを相当使用する、大手ケチャップ加工工場などが有り、この町に入ると町全体にニンニンク臭が漂う。
ちなみに、この町に1万人を超す人々が押し寄せるという、今年の「ガーリック・フェスティバル」は、7月27日~29日までとなっていて、変わったところでは、ガーリック・アイスクリームなども有るという。

またギルロイ近郊の町に、作家スタインベックの書いた『エデンの東』『怒りの葡萄』などの舞台となった、野菜農地地帯のサリーナス(Salinas)の町がある。

ここから北に30分行くと、急激に栄えたIT産業の町、シリコン・バレーを通過する。
また、この辺りは、カリフォルニア州が絶滅危機保護植物と指定している、オーク(Oak)の木(ナラの木)が自生し、自然との調和がとても美しい風景の地を眺めることができ、ドライブが楽しめる。

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200703goldengate_1 1時間もすると、車はサンフランシスコに到着する。
トニー・ベネットの「♪霧のサンフランシスコ♪」にも歌われている様に、晴天に恵まれることの、めったに無いサンフランシスコだが、幸運にもこの日は晴天。
ゴールデンゲイト・ブリッジや、その昔はシカゴ・ギャングのアル・カポネなど重罪囚人を収容した、アルカトラス島がくっきりと見えるのも珍しい。10
日曜日とあって、人々は愛犬を連れてゴールデンゲイトの橋のたもとで、散歩をしたり、ジョギングや一輪車の練習など、おもい思いの楽しみ方をしていた。

翌日はナパバレー(Napa Valley)に続き、近年ワインの産地として頭角を現しているソノマへ行く。この地のワインもナパに劣らず、近年良質な物が作られて、隠れたファンも多い。
200703sonomaroard_1 サンフランシスコから101号線を利用し、1時間ほどでソノマ(Sonoma)へ向むかい、商談を済ませる。
人口約46万のソノマは、メキシコからカリフォルニアを奪還する戦いの場となった、原形郡の地としてソノマ郡は、歴史的な郡でもあり、1850年にカリフォルニアとなる。

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ソノマの玄関口に、サンタローザ(Santa Rosa)という、やはりワイン生産の盛んな町があるが、この町で1852年から1930年まで、ワイン王として活躍した、永沢鼎(カナエ)という、薩摩藩からイギリス経由で来た、日本人のフロンティアがいる。
彼については、またいつか、ゆっくりとサンタ・ローザを訪ねて、その足跡を調べてみたいと思っている。

一路ソノマからユリカ(Eureka)に向かう、途中の道中はレッドウッドの林と、鮭の釣れる小川など、時間が許せば1週間ほど、滞在したいような場所を通過する。
ユリカと云うのは、もともとはギリシャ語で、アルキメデスが、王冠の重さを量る方法が判った時に、「やった!」と叫んだのが、「ユリカ!」だったという言い伝えを聞く。

200703rosia この日はユリカに宿泊した後、午前中はユリカの町を観光する。ユリカのオールド・タウンには、その昔、林業で富をなした、ロシヤからの移民が、1885年に建てた、「ドクトル・ジバゴ」の舞台背景になりそうな、ロシア風の大きな邸宅が有る。

200703eurika_to_portland_3早朝ユリカの漁港ウドリーアイランド・マリーナ(Woodley Island Marina)に立ち寄るが、朝市の様なものを見る事はできず、1950年ごろから今日までの、海で亡くなった漁師の慰霊碑を見る。
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200703river ユリカは川の多い所で、昔作られた、デザインの変わった鉄橋が散在している。
また紅鮭が溯上することで有名な、カラマス川などが有る。
ユリカを出て、北へ一路101号線を進み、大きな漁港をかかえる、カリフォルニア最後の町クリセント・シティー(Crescent City)に到着。
途中のオリックとの間と、このクリセント・シティーとの間には、レッドウッド国立公園があるが、この公園内には、世界で最も高い木が保存されていると云うが、雨のため寄ることができない。
200703oister お天気であれば、クリセント・シティーの、朝の漁港では、観光客に水揚げ風景を公開しているとのことだが、ここで生牡蠣の昼食を取る(12個1皿で10ドル)。

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2007年3月21日 (水)

南カリフォルニア から カナダ までの3100マイルの旅 《 カリフォルニア編1 》

アメリカの夏時間に関しては、すでに昨年7月15日のブログに書いたが、アメリカの今年の夏時間は、光熱消費エネルギー対策に、ますます拍車がかかり、例年より3週間早く繰り上げて、3月11日から夏時間となった。
今年から夏時間が3週間早くなることで、専門家の試算では、日本円で年間5千億円が節約できるという。
昨年まで7ヶ月が夏時間だったが、今年から8ヶ月が夏時間となり、会社員は勤務が終わり、帰宅してもまだ陽が高く、庭仕事や子どもとのサッカー・ゲームの時間を,共に持つことができると、夏時間は家族との団欒の時間が充分あることが、嬉しそうだが、就眠時間が短くなる傾向もあり、睡眠不足に気をつけなければならない。

さて、10日間をかけて、3100マイル(5000キロ)の出張の旅で、通過した町などを、写真を主に綴ってみたいと思う。
広大なアメリカの高速道路の運転では、旅の初めに運転者が注意しなくてはいけないことは、単純な一直線の5号線を、時速70マイル(112キロ)を保たねばならない。

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広いアメリカではスピード違反者を、軽飛行機で空から監視していることを知らせる警告の道路標識を、ところ所で見かけるので、要注意!また、シート・ベルト装着違反も、このところ厳しく、1000_1 この違反過料はカリフォルニア州80~91ドル、オレゴン州 97ドル、ワシントン州では101ドルと、州によって違うことも面白い。 道路からのポイ捨ては1000ドルの、罰金が科せられることの、表示も見過ごしてはならない。20070314web3

カリフォルニア内陸を通る5号線を、ロスアンジェルスを出て2時間半もすると、広大な農業地帯の人口25万人ほどのベーカースフィールド市(Bakarsfield)となる。
この辺りを総称して、サンウォンキン・バレー(San Joaquin Valley)とも呼ぶ。
果てしなく続くサンウォンキン・バレーの農業地帯は、トマト畑や綿花、アルファルファ(牧草)葡萄、レモン、アーモンド、ピスタチォ、クルミなどの農業地帯を、遥かに見晴らすことができる。 
200703web4 この辺りで最近目新しいことは、農場の潅水用のポンプなどの電気系統を、太陽電池に頼っている風景だ。
カルフォルニアの雨季は、11月末頃から3月初旬頃までの4ヶ月間で、ロスアンジェルス周辺の山々の、冬の積雪の多さによって、その山々の雪解けの水量が、その年の南カリフォルニアの水事情が左右される。
今年は世界各地が地球温暖化の影響で、暖冬だったと伝えられるが、南カリフォルニアの山々の積雪も芳しくなく、今年の夏の水事情が心配である。
南カリフォルニアは、雨季のシーズンの4ヶ月以外の月は、砂漠のように乾燥した地帯となり、一滴の雨の恵みも期待できない。
このわずか4ヶ月間の雨量では、南カリフォルニア市民の水をまかなうには無理なことで、北カリフォルニアから水の供給を頼っているのが現状。
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北カリフォルニアから水を供給する、山越えの水供給用の太い送水管を、ベーカースフィールドの遥かな山に、観ることができる。
南カリフォルニアでの水事情は深刻なもので、人々の水代金はカリフォルニアの中でも高く、家計に占める割合は大きい。
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しばらく行くと、地形の低い北カリフォルニアから、いささか地形の高い南カリフォルニアへ、水をポンプで汲み上げる、送水所と送水用の人口運河を見る。
戦時中、敵国日本人は、この運河に近づくことはできず、厳しいFBIの監視があったという。   

アーモンドの開花畑とレモン、ブドウ畑を通過して、出発地から4時間ほど経過すると、コリンガ(Colinga)。
200703haris2_1 農地風景の中に、忽然と現れるのが、ハリスランチが経営するレストランと宿泊ホテルがある。このレストランのステーキ肉は、間違いなく美味しいのでお勧め。ハリスランチがレストランの隣に経営するホテルは、環境が良い割には1部屋120ドルと妥当な価格を設定している。
このハリスランチ・レストランから、30分ほど農業だけの地帯を行くと、ハリスランンチ・ビーフカンパニー社(以下 ハリスランチと呼ぶ)の牛育成牧場(フィードロット)の累々とおびただしい、牛の群れの集畜牧場を見る。200703ox2150  このランチは、各地で生育した成牛を買い取りここに集め、肉牛としての肉の品質調整のために、栄養価の均等な配合飼料で120日~150日間ほど飼養育成し、食肉として加工までするのが、この牧場の目的である。
この牧場の広さは、何と8万5000エーカー(約3万4000ヘクタール)も有り、10万頭の成牛を飼養し、その規模はアメリカでも有数である。
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毎日800頭、年間28万頭の牛を、牧場内に有る屠畜解体所で処理していると云うから、その頭数の多さは、さすが主食が肉と云う生活のアメリカらしい。
ここは同時にパッキング・プラント、そして、その肉を提供しているレストラン、ホテルと、一貫した企業を行い、一面農地だけの何も無い環境の中に、多角経営を展開していて、大変興味が有る。
その他に、このハリスランチはネバダ州にも、6万5000エーカー(約2万6000ヘクタール)の牧場を所有しているという。

45年前の学生時代、盛岡小岩井牧場や北海道の牧場で実習をした時に、その牧場の大きさに驚いたものだが、アメリカに来て、ハリスランチの最終飼育育成場を、フリーウェイから20年ほど前に、始めて見た時、私はその牧場の膨大な大きさに「この光景は何だ!」と、大変驚いたことを今も忘れることができない。
日本の畜産関係者には、想像もつかない程の、大規模牧場である。

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2007年3月 4日 (日)

今年のカリフォルニア・アーモンドの収穫が危ない!

先週の10日間は  ロスアンジェルスからサンフランシスコ、ポートランド(オレゴン)、シアトル(ワシントン)、バンクーバー(カナダ)とドライブをしての、わが社の得意先、生産工場廻りの出張を終えてきた。

総行距離3100マイル(約5000キロ)の旅は、アメリカがさすがに広大なことを感じ、いささか疲れたが、今ハマッテいる趣味の写真撮影も果たすことができ、仕事がらみとは言え、楽しいしい10日間の、得意先工場訪問の旅を過ごすことができた。

今回の旅で感じたことのひとつに、半年前にサンフランシスコへ出張で行った時には、宿泊所に携帯して来たコンピュータを、部屋で接続するのは、時間もかかり技術的に困難な場合が多々あったが、今回の出張の旅では、どのチェーン・モーテルやホテルなどの宿泊所は、ほとんどの場合、コンピュータのための高速無線施設が付設され、しかも、どんなに使用しても「無料」の特典を、宿泊所が客寄せの「売り」として強調し、アッピールしていることだった。

これほど急激に、どの宿泊所も高速無線敷設がなされているのには、無線業界の売り込み競争が、相当に激しいことの現れのような気がして、コンピュータ社会の変わりようを感じた。

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ロスアンジェルスから5号線で、北へ4時間半ほど経過すると、旅の最初に通過するのが、カリフォルニアの果樹農業地帯セントラル・バレーにかかる。

この地は、いまアーモンドの花が、地平線の彼方まで埋め尽くされ、満開の季節を迎えている。

どこまでも一直線の単調な変哲の無い、5号線高速道路を利用する人々を「お花見」気分にさせて、ドライブを楽しませてくれる。

この地のことは以前にも「バレンタイン・デー」の項のブログで書いたが、全米一のアーモンド生産地として、毎年アーモンド作付面積が増え、この地は今アーモンド・ブームでもある。

だが、セントラル・バレーの農業者に今、深刻な事態が発生し、大きな問題をかかえている。

というのは、小さな昆虫ミツバチに、広大な耕作地のアーモンドの、受粉作業をしてもらう、「助っ人」的な役割をしてもらっているアメリカでは、小さなミツバチといえども農業産業に大きな貢献をしている。

このアーモンドの受粉作業役を頼みの綱とするミツバチが、女王バチを除く大半の働きバチが、突然消えていなくなるという、異常事態現象がこのところ発生し、これを「いないいない病」と名付けたという。

この現象は昨秋からアメリカ東部沿岸で始まり、現在、被害地域は、西部沿岸のこのセントラル・バレーの果樹農業地帯にまで及び、すでにこの被害はカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州などを含む、20州以上に広がっているという。

全世界でもアーモンド生産1位を誇る、この地の収穫に影響を及ぼすのではないかと、小さなミツバチとはいえ大きな問題となっている。

この地は、アーモンドだけでなく、この後に開花が続く、サクランボ、プラム、桃などの産地でもあり、また近年この地帯で生産量が急激に増えて世界的に脚光を浴びているピスタチオなど、この後に続く果樹やナッツなどへの受粉の影響の拡大を、セントラル・バレーの農業者たちは危惧している。

またこれから開花期を迎える、リンゴの一大産地のワシントン州へも、影響が出ることが予想され、ワシントン州のリンゴ生産農家も不安が大きいという。

200703air 丁度この旅で、セントラル・バレーを通過している時に、ミツバチでは頼れないと、なんと軽飛行機を利用しての、空中からの花粉の受粉用散布作業と遭遇し、大胆なアメリカ的農業経営方法を見る。

200703kohai11 山梨、長野、青森などの,サクランボ、桃、梨、リンゴの日本での果樹生産者の受粉作業は、耕作面積がアメリカほど大きくないため、余りミツバチに頼らず、ほとんどが人の手で、受粉処理が行われている。

200703kouhai12 その作業は、耳かきの先にある羽毛の、ポンポンの様な大きいものを、竿の先に付け、事前に取っておいた着色した花粉を、そのポンポンに付けて、花のひとつひとつに花粉を着けてゆき、着色された花は受粉済みと云うわけだ。

花のひとつひとつに花粉を付着させていくという、この気の遠くなるような受粉作業は、日本の農家にとっては大変な重労働でもある。

アメリカの広大な農地では、このような日本式人力受粉作業は不可能なことで、ミツバチに頼るしかない。

ゆえに日本の果物はアメリカに比べて、手間ひまの掛かかり方が遥かに違うので、価格も日本とアメリカとでは大きな違いがある。

このミツバチが突然消えてしまうとい現象は、アメリカでは19世紀から、幾らか確認されていたが、1960年頃にテキサス州などの南部で大規模発生したことがあるという。

その後は、ほんのわずかに局限発生を見るのみだったが、今回の状況は前例を見ない広域的なもので、被害地域は22州にもおよび、現在も被害拡大が続いて、深刻な状況だという。

原因については、ミツバチの感染症病が大量死の原因ではないかと推測されているが、農薬散布による、化学物質の影響説も考えられるという。

200703hati ハチミツを収穫販売している養蜂家は、果樹の開花を追い、ミツバチの箱を移動しながら農場に置く方法で、果樹農業地帯の花からハチミツを採集している。

この様に果樹農業者と養蜂家が、互いに共存共栄を築いているが、今回の現象は、この双方の関係にも、大きな影響が訪れていることになる。

たかが、ちいさな小さなミツバチといえども、カリフォルニアの一大農産業のアーモンドに大きな影響を与え、今年のアーモンド収穫の左右に影響を与えている。

収穫の状況によっては、アーモンドの国際価格にも、高騰などの影響を及ぼすることだろうから、アーモンドを使用する菓子業界への影響もありうることだろう。

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2007年2月18日 (日)

アカデミー賞 授賞式が待ちどおしい

20070218suisen 裏庭に水仙の球根を植えていたことも忘れていたが、いつの間にか蕾を持ち、まるで春を告げるかのように、可憐な花を咲かせている。

Kodaktheatreいよいよ今月26日に、アカデミー賞の授賞式が、2001年に新築された、ハリウッド・コダックシアターで行なわれる。

2001年までの授賞式は、ロスアンジェルスの日本人町に隣接する、ドロシー・チャンドラ・ミュージック・センターとシュライン・オーデトリアムで、交互に行われていた。

今回のアカデミー賞は79回目とのことだが、無声映画から音声の出るトーキー映画に変わったのを機に、1929年に第1回目のアカデミー賞が行われた。

         

20070218hotel 今回開催されるコダック・シアターの向かい側に位置する、ルーズベルト・ホテル(創業1927年)のブロッサム・ルームで、1回目のアカデミー受賞式が行われ、ハリウッド映画産業の歴史と共に歩んだ、このホテルは現在でもホテルの機能を果たしている。

ルーズベルト・ホテルの中2階には、歴代のアカデミー受賞式の、記録写真が展示されているので、映画に興味のある方の観光コースにお勧めする。

ちなみに1回目は、映画「つばさ」という受賞作、今はみなオールド・スターとなって、知らない俳優ばかりかと思ったが、出演者の名を見ると、何とハリウッドで、容姿といい顔といい、これほどの美男子俳優は二度と現れないであろうと思える、あの俳優ゲーリー・クーパーが出演している。

今年のアカデミー賞にノミネートされている5本の映画の中に、全編日本語だけという、クリント・イーストウッド監督、渡辺 謙が主演の、太平洋戦争最大の激戦地、硫黄島での日本軍の攻防戦を描いた、『硫黄島からの手紙』(原題名 Letters from Iow Jima)があり、今年のアカデミー賞の受賞結果は、日本人にとって興味深い。

この映画の前に同じく、クリント・イーストウッド監督が作った『父親たちの星条旗』(原題名 Frags of Our Fathers)は、昨年11月に封切されたが、その時には東京滞在中だったので、丸の内ピカデリーで観ることができた。

この映画はアメリカ側軍隊の硫黄島での戦いを撮ったもので、硫黄島の激戦の後、硫黄島の擂鉢山(スリバチ山)に星条旗を立てた、6人の米兵の写真がもとで、生き残った3人は英雄と持てはやされる。

アメリカ国内で戦費調達の国債を国民に買ってもらう、プロパガンダの役割を、生き残った3人の兵士が果たす過程での、矛盾などが克明に描かれている。

この米軍内部の裏話は、当時のアメリカ軍内部の裏事情が分かって、大変興味のある映画だった。

実はこの硫黄島の戦いに関する映画は、1949年ジョン・ウェイン主演で、『硫黄島の砂』という題名で、すでに作られている。

この映画は、800の艦船と6万人以上の海兵隊が、硫黄島に上陸し、海兵隊の攻防戦の活躍のさまを、ジョン・ウェイン演じる海兵隊の鬼軍曹を主軸として製作されている。

太平洋戦争が終わって直後の、1949年に海兵隊活躍の姿を映画に作り上げ、海兵隊のその後の存続に影響を与えたという、この映画は大きな役割を持ったようだ。

アメリカ軍隊の戦費捻出の、国債プロパガンダの暗部の部分は、戦後まもない時代が時代だけに、取り上げられていない。

今、中東各地が混沌としている時代だからこそ、当時の暗部のアメリカ軍隊の部分を、クリント・イーストウッドが、監督として撮りたかったのであろう。

映画の待ち時間に、丸の内ピカデリーの観客を見ると、硫黄島で肉親を失った遺族関係者なのか、60代から70代の、年配の男女が目立ったのも興味深かった。

二作目の同監督の、日本軍側の戦況を撮った『硫黄島からの手紙』は、昨年12月サンタモニカの映画館で鑑賞した。

この映画のストーリーの土台になったのは、2006年「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞した、梯 久美子の著書『散るぞ悲しき ~硫黄島指揮官 栗林忠道~ 』が下書きとなっている。(この同じ期に、『ナツコ ~沖縄密貿易の女王~ 』で奥野修司氏も同じ「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞している。この『ナツコ』に関しては昨年6月1日73のブログに記す。)

この梯 久美子の著書が、映画『硫黄島からの手紙』の土台として、映画化された経緯については、「文芸春秋」20071月号で、著者の梯 久美子氏と俳優 渡辺 謙氏が「硫黄島・栗林忠道の士魂」として対談している。

また、「文芸春秋」20072月号には、梯 久美子が「栗林中将 衝撃の最期」を記している。

映画『硫黄島からの手紙』は、画面上では最初から最後まで日本語で通し、日本軍側の硫黄島を死守する、激戦のさまを撮った映画で、日本人にとっては激戦・自決と、お定まりの日本軍戦争映画として見慣れた筋書きで、私にとっては、さほど取り立てた映画とは思わなかったが、アメリカ人監督が、その戦況下の日本兵の、戦場での心情を克明に撮ったのは、アメリカ人観客にとって、日本兵の戦争に対する考えを知ることができ、この映画に興味を増したようだ。

映画の、その壮絶な激戦を戦う日本兵一人ひとりが、人間性のある人の子であった事への驚きが、アメリカ人観客には、新たらしい発見でも有ったようで、観客にとって印象の強い映画として、アカデミー賞にノミネートされたようでもある。

最初から最後まで激戦の戦場のさまを描いた、この映画『硫黄島からの手紙』を観ながら、沖縄が故郷の私は「沖縄戦」が自然と思い重ね合わされてならなかった。

住民も巻き込んでの激戦の地上戦の果て、188000人以上の犠牲者を出した沖縄戦を思い、悲しみを一層しながら、この映画を観ていた。

米軍死傷者22000人、日本死傷者26000人を出したという、硫黄島での惨状を描いた、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』のクリント・イーストウッド監督が続けて製作した二編の映画が、共通して訴えたかった、「戦争のむなしさ」が、観客に伝わったのは確実だ。

この映画『硫黄島からの手紙』が、果たしてオスカーを手にするか、映画好きとしては、待ちどおしい226日の、アカデミー授賞式である。

余談になるが、当地ロスアンジェルス市内の、日本食材スパーマーケットなどに、無料の日本語タウン情報誌「BRIDGE USA」という小誌が置いて有るが、この小誌を発行している主幹が、『硫黄島からの手紙』の郵便係役を、オーディションを受けて出演しているが、素人ながらなかなの演技をこなしている。

ハリウッド撮影裏話を「舞台裏短編小説」として、この主幹がまとめているので、このページ http://bridgeusa.com/odekake/story_1.php?page-2 を検索すると、映画の撮影現場が手に取るように分かり大変面白く、映画好きの時間のある方にはお勧めする。

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2007年2月12日 (月)

バレンタイン・デー がやって来る

200702121 寒さの和らいだ二月の夜、裏庭のパディオを見ると、日本では見ることのできない、スカンクの訪問を発見。

急いで先日、手に入れたブログ用カメラを取り出し、写したのがこの写真だが、野生動物を撮るのは難しい。

カナダ、北アメリカ、南アメリカに生息しているという、日本には生息しないスカンクは、見た目はとても可愛く、ヒョコヒョコと動作も暢気で憎めないが、怒らせると大変な臭いを放ち、その悪臭は無風状態で半径1キロ、風向きによっては2キロにも及ぶという、脅かすとどんな結果になるか解らないので、静かに退散を待つしかない。

スカンクは昆虫、果物、ネズミなどを捕食し雑食性なので、外に出してある台所からのゴミなどを漁ったりするようで、家の周りをウロウロしていたと思われる。

このスカンクは、よく道路をノソノソと歩いていて、車で轢く率も高く時々道路に無残な死骸を見るが、その悪臭は言葉では言い表せない。

この哺乳動物、子供45匹を引き連れて、行進をしている姿を目撃した友人もいる。

日本で感染発症をみない狂犬病だが、このスカンクはアメリカでは狂犬病の媒介動物とし、トップクラスとのことで、狂犬病にかかったスカンクは、あらゆる動物に攻撃をかけ、このため狂犬病に家畜や野生動物が感染するという。

よくアメリカに来た日本人観光客が、ヨセミテ国立公園やグランドキャニオンなどで、リスなどを可愛いいと触りたがるが、これは狂犬病などと背中合わせで、大変危険な行為であり、アメリカでは野生動物とは、決して親しく接触してはならないことを知っておく必要が有る。

2007021222 あと数日するとバレンタイン・デーだが、アメリカではバレンタイン・デーに贈る相手も、意中の人や恋人同士でプレゼントを交わすのは勿論だが、日本のように必ずしも女性側からの一方的な、贈り方をするのではなく、男性側からも贈物が交わされるのが普通である。

また夫婦間で贈り物をしたり、親子間であったり、孫と祖父母間などと、必ずしも日本のように一方的に若い女性から男性へと限定されてはいない。

また贈る物も、チョコレートとは限らず、花やアクセサリーやネクタイなどと、クリスマス・プレゼントのように多種多様で、チョコレートのみを贈るのが、習慣というものでもない。

日本ではなぜバレンタイン・デーの贈り物が、チョコレートと特定されたのか・・・と考えると、もしかして相手の男性へ、チョコレートのような「甘い関係」を求めるから、チョコレートがプレゼントの定番に使われるようになったのであろうか、それとも製菓業界の企業戦略で、消費者が製菓業界に乗せられた結果なのか・・・。

この日のチョコレートも、日本では贈る相手がいろいろあって、女性が意中の人や恋人へ贈る「本命チョコ」恋愛感情を伴わない上司や同僚の男性へ贈る「義理チョコ」女友達同士へ贈る「友チョコ」などと、いろいろな名前があるようで、ややこしい。

そして、これもアメリカには無い習慣だが、バレンタインのお返しの日として、男性から女性へ、何らかの品物を贈る「ホワイト・デー」なるものは、あきらかに企業側の仕組んだ、策略の日のように思えてならない。

そして最近では、本命の男性との恋人関係が成就した人などの「オレンジ・デー」なるものまであって、お互いがオレンジ色のプレゼントを交換する、カップルのための日まであるとのこと、ますますややこしさがエスカレートして、ここまで来ると、あきらかに企業側に振り回されている感がしてならない。

また今年のバレンタイン・デーには「セルフ・バレンタイン」という造語を銘名し、自分自身が食する目的で購入してもらうチョコレート販売作戦を打ち出し、これなどは、チョコレート会社が、ひと頃はやり言葉となった『自分へのご褒美』と云う言葉を取っての、あきらかに意図的に仕掛けた企業戦略のようだ。

このバレンタイ・デーいつの頃から、日本で市民権を得たのであろうか、わが青春の頃の45,6年前は、バレンタイン・デーという名前さえ聞いたことが無かった。

さてチョコレートにはアーモンドと、相性が決まっているが、このアーモンドの世界的な生産地がカリフォルニアで、現在世界1位のアーモンド生産量を誇っていて、相当な量を日本へ輸出してもいる。

ロスアンジェルスからサンフランシスコに向かう中間地点の、セントラル・バレーは、野菜や果樹やナッツ類など、地平線の彼方まで耕作地が続く「カリフォルニアの台所」ともいわれている。

アーモンド栽培には、夏は高温の乾燥した土地で、冬は低温で降雨量のある土地を必要とする条件を備えている、このセントラル・バレーがアーモンドの産地として、理想の場所といわれている。

20070212armond_001 アーモンド(Almond)はバラ科サクラ属の木で、開花は2月から3月で、果樹の中では最初に花を着け、アーモンドの開花は、春の訪れを知らせてくれる。

その花はサクラの花のような可憐な姿で、この季節サンフランシスコ方面へのドライブの際には、広大なその畑は、地平線の彼方まで花で埋め尽くされ、日本のサクラのように人々の目を楽しませてくれる。

受粉用に蜜蜂業者に、蜜蜂の箱を置いてもらっている風景も、春を感じる。

アーモンドの原産地は、地中海沿岸とのことで、古くはローマ時代から人々が、すでに食していたと云われ、カリフォルニアへはスペイン経由で、18世紀頃に入ってきたという。

カリフォルニアで栽培されているアーモンドは、食用のスイート・アーモンド種で、このアーモンドの収穫は、特殊なツリーシェーカーという機械で、木を揺さぶって落とし、しばらく落ちた果肉の付いた実は、放置され乾燥させた後に収穫するために、アーモンド畑の木と木の通路は、収穫時には雑草1本も無いほど綺麗に整えていて、このアーモンドが揺さぶられて落ちる様を、アーモンド・シャワーと呼んでいる。

20070212armond_002 収穫されたアーモンドは、果肉を除いた実の殻は、ウメボシの種子のように硬く、その殻を割って中の仁(じん)がアーモンド・ナッツとなる。

ナッツを収穫した後の、この硬い殻は廃棄されず、細かく砕かれて、土地改良の土に入れる材料として使われたり、紙ヤスリなどの材料として使用されているため、この地をドライブすると、殻を砕くのを専門にしている会社には、山のようになった殻を見ることができる。

カリフォルニアのセントラル・バレーの、農業地帯をドライブする時には、この地帯の農業知識を、幾らか学んで通過すると、いっそう楽しい旅ができる。

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